今回の記事はリンク先のページに投稿したものを編集後こちらに再掲載しております。
障害者の兄の帰省日をどのように減らしたか
「きょうだい児、親亡き後」ではざっくりと親亡き後の暮らしについて紹介しました。そして約60日あった帰省日を減らしていったともお伝えしました。今回はもう少し詳しく書いてみようと思います。
親の生前時
兄は親の生前より福祉施設に入所しており、長期休暇で帰省することがありました。
両親が帰省を受け入れていましたが、母の他界後は私が父の手伝いをするようになりました。
その時点で父は83歳、高齢の上に父も障害者で右足が不自由(義足)。一人で兄の帰省を受け入れるのはちょっと無理がある。
施設が設定した長期休暇、イベント、保護者会等をトータルすると年間約60日程あり、最初はその多さに戸惑っていました。長期休暇では10日近くなることもあり、父も体力的に辛かったかもしれません。その間は兄のペースに合わせなくてはならないので私も辛かったです。
(本来は通常の週末帰省もあり、月に8日プラスになるのですが、両親がとてもじゃないけど体力的に無理と免除してもらっていたというのは後から知りました。もし受け入れていたら帰省日は年間150日を越える計算になります。約5ヶ月を兄のために使わなくてはいけないというのはやはりちょっと無理ですね)
GW、お盆、お正月、春休みが長期休暇だったのですがそれぞれ7日~10日程あります。
6年間それは続き、父も帰省日を徐々に減らすように施設に交渉するようになりました。7日~10日を3泊4日→2泊3日→1泊2日という感じです。
親亡きあと
帰省は大幅に減らし年に2回、それぞれ1泊2日で受け入れていましたが、2016年以降はお休みしています。保護者会や施設行事もまったく行かなくなりました。
なぜかというと、親の生前から帰省を手伝うたびに具合が悪くなっていたからです。帰省が終わるとぐったりして何もする気が起きない。完全にエネルギー不足になっていました。そしてようやく体調が戻った頃に次の行事や帰省が来てしまう。
父の入院は帰省を大幅に減らすきっかけになりました。やはり同時にはできないですし、施設のほうからも父優先でと言ってもらえました。
そして2016年に腰と膝のコンディションが悪くなったため、施設の方に今はできないと伝えたこともあります。年2回、施設利用の件で面談があるのでそれには行っています。
2017年 福祉施設での面談2日。事務手続きで1日 実働3日
2018年 福祉施設での面談2日。事務手続きで2日 実働4日
2019年 福祉施設での面談2日。事務手続きで1日 実働3日
2020年 事務手続きで1日
10年前は60日間やらなくてはいけないのかなと戦々恐々してましたが、今では年に3~4日やれば大丈夫になったというのはとても大きいです。
交渉するって大切ですね。
結論:障害者の兄の世話を親と同じようにやらなくても平気でした。
親の期待に応える必要がなくなり楽になった
親が兄に対して「こうしてあげたい」と思う中には、親が一人でできなくて私がそれを代わりにやることもあったので、いま考えると余計なことをしなくなって本当に楽になりました。
それは兄のことをどうして欲しいというレベルから、家のアレを〇〇さんにあげて欲しいとか、こうして欲しいとか、そんなことまでです。
自分がやりたくないことは一切やらないことにしました。
子供~学生の頃は、親亡き後は、自分で何もかもやらなくてはいけないと思っていて、正しい采配ができるのか心配でしたが何の問題もありませんでした。
考えを押し付けてくるのはいつも親なんですよね。生前はずっと我慢してたけど、自分の好きなように決められるって何て素晴らしいことなんでしょう…!
障害者の兄弟のお金の問題について
お金のことは両親がそれなりに対策してくれたので、私が何かすることはありません。
以前は私がお金の管理をしていましたが、今は弁護士さんにお願いしています。その費用も完全に兄の財産の中から支払われているので、私の負担はありません。
まとめ
親亡き後のことは、自分が思っていたより楽でした。両親ともに障害があり、兄の世話をするのは厳しいため、早い段階で入所できていたのが大きいかと思います。
家庭によって考え方が違いますので何とも言えませんが、施設だと規則正しい生活ができるので本人にとっても良いと思っています。兄も高齢になり、正直言うともう私には兄を受け入れる技術がないと感じています。
今回は以上です。最後までお読みいただきありがとうございました!